今よりも、未来へ。
郡山営業所誕生までの道のり
先行き不透明な時代に、将来を見据えた経営判断
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城北伸鉄の未来を担うプロジェクト
2019年末、中国・武漢で報告された原因不明の肺炎は、
瞬く間に世界中に広がっていった。
「新型コロナウイルス感染症」として、である。2020年には、コロナ禍が日本全体を襲った。
そんな状況の中、城北伸鉄 代表取締役社長 榎本淳也は、
一人で福島県・郡山市へ向かっていた。
郡山営業所の地鎮祭に参加するため、である。
通常であれば盛大に執り行われるはずであった、新拠点建設に向けた地鎮祭。
だが、参加者は榎本一人だった。「東北に新たな拠点を作る」。
これは、前社長、榎本哲也の時代からの課題であった。
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東北に拠点を作る
という課題元々は、板橋区を始めとする東京都内の中小工場に対し、
磨棒鋼を小口で提供することで成長してきた城北伸鉄。
しかし、首都圏の地価高騰に伴い、都内から地方への生産拠点移設が相次いだ。
結果、東北地方が一大商圏へと成長してきたのである。城北伸鉄が東北へ製品を配送する場合、窓口になるのは千葉県・浦安市にある
浦安磨棒鋼センターである。
なぜ、東北に新拠点が必要なのか。それには、大きく二つの側面があった。一つは、浦安のキャパシティが既に限界を迎えつつあったこと。
浦安の営業所・倉庫は既にフル稼働状態。
さらには東海地方や西日本での需要が増えている状況があり、
浦安の能力はそちらに集中させたい。とすると、
東日本での拡販を目指すためには、どうしても新しい拠点が必要だったのだ。もう一つは、事業継続の側面から。2011年3月11日。
我々の記憶にも新しい、東日本大震災が発生した。
東日本一帯は大きな被害に見舞われた。
当然、千葉県・浦安も大きな影響を受けた。城北伸鉄にとって、浦安磨棒鋼センターは出荷の一大窓口。
万が一、浦安が何らかの災害によって
操業をストップせざるを得ない状況に陥った場合、会社は大打撃を受ける。災害などの緊急事態における、企業の事業継続計画(BCP)の観点から
言っても、新拠点の設立は急務だった。
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城北伸鉄の、
そして日本の未来のためにそれだけではない。磨棒鋼の納品を待つ顧客にまで影響が出る。
それはすなわち、日本の製造業に対する大ダメージにつながることを意味している。このままではいけない。
前社長・哲也と現社長・淳也は、車に乗って東北各県、各地を回り、
新拠点を開設するにふさわしい土地を探して回った。
そして2019年、郡山に見つけた場所は、立地条件や災害に対する強さなど、
事前に考えていた条件をクリアするものだった。そんな状況で起きた、新型コロナウイルス感染症の猛威。
景気も落ち込み、この先の見通しは不透明に。「本当に、この状況で新拠点への投資を行うべきなのか?」
代表取締役社長 榎本淳也は悩みに悩んだ。進むべきか、退くべきか・・・。
郡山の新営業所設立プロジェクトを、
推進すべきか、延期・中断、もしくは中止すべきか・・・。この判断を下せるのは、社長である榎本しかいない。
もちろん、関係各所に相談はする。意見は集める。
だが、経営判断を下せるのは、一人しかいない。そして、結論が出た。
「これは、将来の成長に向けて絶対に必要なプロジェクトだ」
榎本の意志は決まった。
コロナ禍において、城北伸鉄も苦しい日々が続いていた。
受注量は、通常時の半分程度。売上は激減。
その上、新型コロナウイルス感染症がいつ収束するか、
そもそも収束するかどうかさえ、誰にもわからない状況である。先は見えない。
それでも、新拠点を立ち上げる。それは、目の前の状況に対応しての判断ではない。
五年先、十年先、あるいはさらに先を見据えた判断でもあった。コロナ禍においても、この判断を下せるだけの明るい要素はあった。
城北伸鉄の受注量は通常時の半分程度だったが、
同業他社を見ると、城北伸鉄以上に壊滅的なダメージを受けている企業が多くあったのだ。
元々、小ロットでの受注を積極的に受けていた城北伸鉄は、
大口の顧客だけを相手にしていた他メーカーよりも、売上の減少率が抑えられたのだ。
創業以来、顧客ニーズに応え続けてきた城北伸鉄の強みが、ここでも発揮された。
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「できない」よりも
「どうしたらできるか」2021年2月、郡山営業所がオープン。浦安から、人員や製品の移管も行った。
決して、平坦な道ではなかった。
そもそも、ただでさえキャパシティいっぱいの状態にある浦安から、
郡山に人員を割かなければならない。
とは言え、コロナ禍の影響もあって十分な人手が確保できない。
受注減とは、また違った側面からの危機的状況に直面した。「浦安の所長と郡山の所長が二人揃って
『こんな状況では、操業を続けるのは無理』と直談判に来たこともありました」
と、榎本は苦笑しながら話す。でもね、と榎本は前置きした後、こう続けた。
「二人の所長はただ『できません』と言うのではなく、
『どうしたらできるか』を話してくれました。
だから私も、それに応じたという感じでした。
だから、私もその想いに応えるべく、人員確保や体制の整備など、できることは取り組みました」。そして榎本は、こうも話す。
「城北伸鉄が今こうして、日々操業を続けられているのは、ひとえに現場で汗を流し、
努力と工夫を続けてくださっている皆さんのおかげです。
会社に関わる全員が、それぞれの持ち場で全力を尽くしてくれたからこそ、
郡山営業所が立ち上がったのです」城北伸鉄は「国内店売り市場№1に向けてチャレンジ!」という新たな目標を掲げ、
磨棒鋼の業界で確固たる地位を確立することを目指している。
郡山営業所の設立は、そのために必要なピースである。「私たち城北伸鉄は、常に顧客のニーズに合わせて成長してきました。
それはこれからも同じこと。
社会の要請、お客様のニーズに対応し、いかに会社を変えていくか。それが私たちの生きる道です」。城北伸鉄の挑戦は、まだ続く。